佐賀県大和町の船塚古墳、散策記3話目です。長々とお付き合い頂きまして有難う御座います。
船塚古墳を少し高台から見てみようと、古墳から離れた所まで歩いてきました。
船塚古墳の周囲を径12m程の円墳があるとの事で、残っている円墳を目指しながら歩いていましたら…墓地がっ‼︎
最近、整備されたようで綺麗でした。この墓地については後日、書くとして…
奥の方に(判りにくいですが)船塚古墳。大正や明治、昭和…旧いモノでも江戸時代、鎌倉時代の墓石と、それよりももっと過去の墓が纏めて見えるこの場所はとても素敵でした。
墓地から少し離れた場所の、見晴らしが良いところで1枚。
ここから見ると後円部、くびれの部分と前方部がハッキリと見えて綺麗な前方後円墳だな…と、思いました。
この辺はみかん畑が多く、まだ上の方にも登れそうだったのですが…それはまたここへ再訪した時の為に、取っておく事にします。
当時は11基の円墳が存在していたようですが、現存しているのは7基の円墳(私が判ったのは6基でしたが)…殆どが動物避けの柵がしてあり、今回の散策で近付けた円墳はひとつだけでした(もう少し散策していたら他の円墳にも近付けていたのかもしれませんが…)。
登ってみると、盗掘の跡がありました。草が生い茂っており判りにくいですが…
中央辺りが窪んでおり、横から掘られた跡があります。
この円墳が船塚古墳の陪塚(ばいちょう)だとするのなら…やはり横穴式だったのでは⁇と、想像が妄想を膨らませてておりました。
難しい事は判らなくても、見て感じて想像するだけで充分に楽しめます(確証もない妄想ですが)。
写真に写っているビニールハウスの奥に船塚古墳があります。
船塚古墳は5世紀中頃の竪穴式石室で箱式石棺が2基、置いてあったそうです(※さがの歴史・文化お宝帳を参考)。
この円墳(船塚古墳の陪塚のひとつとされている模様)にも、土師器片(だと勝手に思っている石)が所々に落ちていました。
沢山の発見と遠い遠い過去が身近に感じられる前方後円墳と円墳(陪塚?)。
もし少しでも興味を持って頂けたのなら幸いです。
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