2015年2月14日土曜日

佐賀県船塚古墳2015(1)


今日は絶好の散策日和だったので、知人に佐賀県の船塚古墳へと連れて行ってもらいました。


【所在地】佐賀県佐賀市大和町大字久留間字東(※佐賀市地域文化財データベースより)


遠目でも判る程に綺麗な前方後円墳で、復元ではなく綺麗に残っている前方後円墳は他に類を見ないくらいに珍しいのだと教えてもらいました。

以前のBlogにも書いたのですが、古墳については素人で知識が全くないので…一応、説明板を。


全長が114mで佐賀県では最大の前方後円墳で後円部径63m、高さ19m、前方部幅62m、高さ9mの三段築成だそうです。

前方部(右寄り立った状態)から後円部を1枚。


写真が上手く撮れてないので判りにくいかとは思いますが…写真の右側に綺麗な段が残っていました。
この写真にも一応、写っておりますが、所々に人1人、すっぽり入るくらいの穴があります。古墳好きな知人曰く「追葬の石室があったんじゃないかな?と、思っている」とおっしゃっていました。

その追葬の石室か石棺か…あったであろう穴の付近から1枚。


ここからだと前方部と後円部の高さに差がある事がよく判ります。
左側と正面にも似たような穴があり、他の人も埋められていたのかな…など思い巡らせておりました。

ですが、明治期に盗掘されたらしく、この前方後円墳に埋葬されていた人は誰だったのか判らないそうです。
明治期には墓の主は誰かの手により連れ拐われてしまったのですね…

お次は後円部(後円部の右側あたりで立ったままの状態)から前方部を。


後円部は盗掘された跡が残っており、綺麗な円ではなく崩れていました。
当時あったであろう石室は内面が赤く塗られた竪穴式石室…と、伝えられているそうなのですが…
盗掘の跡を見ていると、少しばかり違和感が…


上から一段下に降りて撮った前方部を撮った写真ですが…竪穴式だと横から掘る必要はないのに、横から盗掘跡と思われる溝がありました。
知人曰く「こんな形に掘ったって事は、ここには何かがあったのだと思うんだけどな…」と、推測しておりました。「突き土の技術が生まれる前で崩れた…?それにしては変な崩れ方だと思う…」とも、おっしゃっておりまして…私自身もそう思ったので、個人の妄想として「石室ではないにしろ横穴式だったのではなかろうか…?」と、いう勝手な結論を出してみました。

そして一番下の段も散策。


墳丘の周りには幅が15m前後の周濠(※水堀だったのか形だけの堀だったのか判りませんが…)楯状にありました(※∩←こういう形で上の丸い部分が後円部)。
墳丘のあちらこちらに花崗岩円礫の葺石らしきモノが多く落ちており、歩く度に大小様々な白い石(花崗岩)を見るが出来ます。
写真の右側が周濠の部分で左側が墳丘の葺石らしきモノです。

石室は見られなかったものの…遠い遥か過去の、しかもこれだけ大きな“墓”を作る為の石と直に触れ合える、貴重な場所でした。

語りたい事がまだまだ沢山あるのですが、少しばかり長くなりすぎてしまったので続きは次回へ…







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