2015年7月22日水曜日

大分県に来た-オマケ-


「大分県に来た 宇佐八幡宮」の記事へ盛り込む予定だった写真をオマケとして載せたいと思い、今の記事を書かせて頂いております。

宇佐八幡宮の近くに蒸気機関車が展示されているようでしたので、立ち寄りました。


逆光だったので私の技術では余り綺麗に撮れていませんが…
思ったより小型の蒸気機関車でした。

説明板によりますと…機関車が大型化する前の車両なようですね。


「宇佐参宮線26号蒸気機関車」
大分県指定有形文化財
この機関車は、明治24年(1891年)にドイツ・ミュンヘン市のクラウス社が製造、明治27年に九州鉄道(株)(国鉄の前身)が購入し活躍していましたが、昭和23年機関車の大型化に圧され大分交通(株)に譲渡の後、宇佐参宮線の主役になりました。
宇佐参宮線は、大正5年(1916年)3月開業し、昭和40年8月に廃止されました。
二六号機関車は、形式10、製造番号2550号、最大長7,509m、高さ3,546m、幅2,546m、運転装備時重量23,36tで、実に71年間にわたり活躍しました。

と、書いてありました。

こういう過去の遺構は現在に残そうと頑張る人達が居ないと、劣化してなくなっていくのでしょうね…このクラウス号も、そんな人達に手を差し伸べられて現在にいると思うと…少し複雑な気持ちになりました。



2015年7月18日土曜日

大分県に来た(5)青の洞門


「大分県に来た」とうとう5回目になってしまいました…こんなに書くとは自分でも予想外です…長々とお付き合い頂きまして有難う御座います。

前回に引き続き、青の洞門について書きますね。

 
近くを歩いていますと全体の風景は見れないもので…時折こうやって振り返っては、ぼんやりと眺めていました。

こちらは進行方向側ですね。どちらが入り口で、どちらが出口なのかは判らないので私にとっての進行方向です。


洞門と競秀峰…


洞門と山国川…
見たままの風景を撮るのは凄く難しいですね…

歩みを進めた先に「禅海和尚の手掘り洞門の一部を見る事ができます」と案内板がありました。


階段を降りてみますと、山国川のすぐ横に入り口がありましたよ。
前日が雨だった為か辺りは水浸しでしたが…


正面からも1枚…


中は真っ暗です。
この写真では判らないかと思われますが、壁には木の葉などが付いていたので…山国川が増水するとこの入り口も水に浸るのかと思いながら中へ入りました。

入り口を中から1枚…


奥に見えるのは山国川です。道幅は人が1人余裕を持って歩けますが、2人並んで歩くのは難しい程度です。

先を見ますと明かりが見えました。


曲がった先に電燈が点いており、薄暗い所に慣れていた目が、少しばかり痛かったですが…真っ暗だと頼りになりますね。

電燈を通り過ぎますと不思議な光景が目の前に現れました。


左側が手掘りの部分で右側がコンクリート…手掘りで岩山に隧道を作った和尚さん凄い…と、この岩肌に触れて思いました。右側のコンクリートに違和感を覚えつつ…
奥に出口が見えます。


出口を近くで撮るとこんな感じになります。

こちらは外へ出て階段の上から撮ったものです。


個人的にこういう雰囲気の場所が好きなので、撮っていて楽しかったです。

帰り際(駐車場へ戻る途中)ふと「逆光でも撮れるよ」と前に某氏が話していたのを思い出し太陽を撮ってみました。


ファインダーから覗く太陽が眩しくて、どう撮れたか判らなかったのですが…こうなりました。


「大分県に来た」の青の洞門だけ、某氏のカメラを借りて撮った写真が殆どです。現像処理もお任せして…頂いた画像を上げてます(この場を借りて御礼を…色々とお手数をお掛けしてスミマセン…そして有難う御座います)。
携帯で撮った写真も混ぜておりますが、それは…撮り忘れのフォローで…



色々とお世話になりつつ、大分県を満喫させて頂いた今回のぶらり旅はこの辺で…
ここまでお付き合い下さって有難う御座いました。

2015年7月17日金曜日

大分県に来た(4)青の洞門


「大分県に来た」
4回目は前回の予告通りに青の洞門です。

青の洞門を撮った写真は、某氏の一眼レフをお借りして撮った写真と携帯で撮った写真が混同しています…

【青の洞門】
所在地:大分県中津市本耶馬渓町樋田


バスを降りると目の前にトンネルが見えます。


車で連れて行って頂いたのでバスは使っていませんが…
洞門の両端(出入口)付近に無料駐車場が完備されておりますので、車でお越しの方でもゆっくり見学する事が出来ますよ。

青の洞門について説明しますと…諸国遍歴の旅の途中にここへ立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削資金を集め石工たちを雇い、ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた(Wikipedia参考)隧道だそうです。

出入口を近くで撮ってみました。


「現在の洞門は当時からは大きく変化しており明治40年には現在の洞門に近い形状で大改修が行われ、現在では手掘り洞門の一部を残すのみである(説明板引用)。」
なので、この部分は手掘りではありませんね。

洞門に入るとすぐ右手側に脇へ降る道があります。降りてみましたら隧道の中だというのに外の景色が見えました。


この写真にある外の見える穴…禅海和尚が最初に開けた穴だとか…


通り過ぎ振り返れば、射し込む明かりと、横で流れる川が反射した光が岩肌に映り綺麗でした。
写ってはいませんが、この写真の左側には禅海和尚の像があります。


先へ進むと再び道路へ繋がる階段に辿りつきました。右側の奥に不自然な穴が見えますね。

近付いてみると…


やはり不自然で、この部分も禅海和尚さんが手掘りした名残ではないのかと、勝手な憶測をしておりました。

不自然な穴の奥に見える手摺りは…


こちらの手摺り部分です。この写真は通ってきた隧道の中と、登った階段を道路(歩道)側から少し屈み気味に撮ったものです。

暫く車も通る洞門内を歩きました。



また長くなりそうなので、これから先は次回へ持ち越したいと思います…

大分県に来た(3)宇佐八幡宮


「大分県に来た」3回目も前回に引き続き宇佐八幡宮について書こうと思います。

呉橋の横にある橋を渡り歩いておりますと手水舎があるので手を清めまして…そこから更に歩いて行きますと上宮へ向かう鳥居に辿り着きます。


宇佐八幡宮は上宮と下宮がありまして、上宮を参拝した後に下宮を参拝する手順になっているようです。
この写真に写ってはいませんが右側に下宮の鳥居があります。

蝉時雨の中、緩やかな階段を登って行きますと本殿へと通じる門へ到着いたしました。


何やら工事をしているようで、囲いがしてありますね。

この日は天気に恵まれまして…日差しがとても痛かった為、参拝する前に木陰から本殿を見ておりました。


すると、巫女さんが何やらはじめたのでズームしてみますと…


御賽銭の回収…なかなか見られない光景に唖然としてしまいました。
この写真からですと巫女さんが写っている所が一之御殿になります。

この写真は御神木と一緒に本殿を写したかったので撮ってみました。


巫女さんが二之御殿の御賽銭を回収しにきておりますが…この写真を撮り終わった後に上宮の参拝をしました。
一之御殿の横に書いてありますが参拝の作法が「二拝 四拍手 一拝」との事だったので、それに習い上宮の一之御殿から三之御殿までご挨拶。
この写真を撮った後ろ辺りには祈祷殿、絵画殿がありますが、其処には寄りませんでした。

こちらが下宮ですね。上宮から下宮へ繋がる道があるので、降りてきた感じです。


下宮もこの写真で見て一番奥が一之御殿になります。上宮と同じように「二拝 四拍手 一拝」で、ご挨拶をして参りました。
余りに多くの御社があるので参拝という形を取ったのは上宮と下宮だけですが…

あまりの暑さに耐え兼ね自販機を求め手水舎の方へ戻りますと、神棚、神号授与所の横に長椅子と自販機がありましたので少し休憩をしました。

その後、境内にある木匠祖神社の方へ足を伸ばしたところ…近くに池があり、蓮が蕾を沢山つけておりまして綺麗な景色が眺めたのですが…写真…撮り忘れていたみたいです…スミマセン…

宝物館を見に行こうと木匠祖神社から向かっている最中にこんなモノが生えていました。


なんとも不思議な風景で、頭の中に不思議の国のアリスを思い浮かべてしまいましたが…


ドクベニダケ…?


これは某氏が撮ったモノですが…キノコがとても美味しそうに見える写真だったので、許可を頂き上げてみました。
ですが、毒キノコの可能性が非常に高いので宇佐八幡宮でこのキノコを見掛けても食べないで下さいね。

キノコ畑を背に宝物館へ向かったのですが…宝物館の前には「本日の営業は終了しました」の立て札…

【宇佐神宮宝物館】
営業時間:9時から16時
定休日:火曜日
入館料:大人300円 中、高校生200円 小学生100円

境内はとても広く、あっと言う間に時間が過ぎてしまいますので…もし訪れる際には御時間にご注意下さい…

宇佐八幡宮へ訪れたのには目的がありまして…神社が好きだというのも勿論あるのですが、過去にここで購入した厄除けのお守りが切れてしまったので再度、購入する事が目的だったワケです。


私が望んだ厄除けのお守りは、もう取り扱っていないとの事だったので…このお守りを購入しました。四神が守護してくださるお守りです。
御利益を期待しているワケでもないのですが…知らない間に切れていたりするので、自分の知らない所で護られているのかもしれませんね。


長くなりましたが「大分県に来た」宇佐八幡宮はこれくらいに…ここまで御付き合い頂きまして有難うございます。

次回の「大分県に来た」は、青の洞門について書きたいと思っておりますので、また御付き合い頂ければ幸いです。

2015年7月16日木曜日

大分県に来た(2)宇佐八幡宮


大分県に来た(2)では宇佐八幡宮をご紹介しようかと思います。

この回では西参道の入口にあった説明書きを主に書く予定なので「説明文には興味がないよ」という方は(未熟者の写真では御座いますが)写真だけでも楽しんで頂けたら幸いです。

宇佐八幡宮
所在地:大分県宇佐市南宇佐2859
駐車場:有料。1回400円

駐車場を降りると直ぐ、由緒について書かれてある案内板を見つけました。


【宇佐神宮御由緒】
当神宮は四万社あまりある八幡宮の総本宮であります。
神代に比売大神が馬城の峰(大元山)に御降臨になった宇佐の地に、欽明天皇三十二年(五七一)応神天皇の御神霊が初めて八幡大神としてあらわれ、宇佐の各地を御巡幸ののち神亀二年(七二五)に亀山の一之御殿に御鎮座になりました。
また天平三年(七三一)比売大神を二之御殿にお迎えし、のち弘仁十四年(八二三)神託により神功皇后が三之御殿に御鎮祭されました。
皇室は我が国鎮護の大社として御崇敬篤く、特に八幡大神が東大寺大仏建立援助のため神輿にて上洛されたこと、また和気清麿公が天皇即位にかかわる神託を授かった故事などは有名であり伊勢の神宮に次ぐ宗廟、我が朝の太祖として勅祭社に列せられております。

と、書いてありました。

斜め前には鳥居があります。その鳥居の奥に見えているものは呉橋という橋です。
10年に一度の勅使祭で解放されるのみで普段は渡れないようですね(Wikipedia参考)。


鳥居を潜り近付くと…少々ローアングルから撮っていますが、このような感じになります。


宇佐八幡宮のホームページにある呉橋より色が綺麗なので、塗り直しされているのかもしれません。

呉橋の案内板もあったので、そちらも…


【呉橋】
寄藻川に架けられた神橋は呉橋と称せられ宇佐神宮西参道からの入口にあたるが昭和初期までこの通りが表参道であった。
創建年代は不詳で昔、中国「呉」の人が架けたと伝えられている。この様式は中津市の当宮旧摂社薦神社に見られるほかは全国的に少ない。
木造の廊橋で橋脚石造三基、幅三・四六m、長さ二四・六七m、向唐破風造、屋根は桧皮葺である。
元和八年(一六二二)細川忠利公が修築したものが現存するが明治九年、昭和十二年と修理が加えられ昭和二十六年頃に河川拡幅と堤防工事が施工されたためコンクリート橋が正面に取付けられた。
正安三年(一三〇一)に差遣された勅使和気篤成朝臣の御歌が残されている。
影見れば月も南に寄藻川
くるるに橋を渡る宮人
(県有形文化財)

こちらは呉橋を横から撮ったものです。


色々と頑張ってみたものの、橋の全部は入りませんでしたね…当然ながら門は閉じられておりました。

鳥居のすぐ後ろ(由緒案内の斜め前)には、前まで鳥居があったであろう残骸がありました。
この写真は由緒案内の前にある鳥居の残骸です。


こちらが対になる残骸(もうひとつの足の土台)で、鳥居跡についての説明文がありました。


【鉄鳥居(かねとりい)の沓石(くついし)】
現在の西参道に続く道は奈良時代以来、勅使参向等に使用されたので勅使街道と呼ばれた。呉橋前の参道入口には古くから鳥居が建てられており、既に十五世紀の絵図にも描かれている。
元文元年(一七三六)の火事で木の鳥居が焼失後、寛保三年(一七四三)に江戸の住人藤木平左衛門によって鉄鳥居が寄贈された。木部を青銅板で覆い沓石(礎石)の上に鉄製の輪をはめて固定した造りになっていた。
明治十三年の図面には左記の寸法も記されている。
桁行
一丈九尺六寸(約五、九m)
高さ
二丈七寸(六、三m)
宇佐神宮の鉄鳥居は多くの参拝者に親しまれたが、戦時中金属類回収令により供出され、今は沓石のみが往時の歴史を伝えている。

余談では御座いますが…
金属類回収令とは、日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の悪化と物資(武器生産に必要な金属資源)の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行う目的で制定された日本の勅令だそうです(Wikipedia参考)。
武器を作る為に鳥居の鉄が使われるというのは…複雑な気持ちになります。



説明文だけであまり楽しめるような写真もなく長く書いてしまいました…スミマセン。今回はこの辺りで切り上げまして次回へと持ち越します…
興味を持って頂けたなら引き続き御付き合い願えれば幸いです。

大分県に来た(1)SL29612


このBlogでは、そろそろお馴染みになりつつある某氏に大分県へ連れて行って頂きました。
書きたい事が多い為、何回かに分けて記事を書かせて頂こうと思います。少しでも目に留まる内容があれば幸いです。

「大分県に来た」初回は豊後森です。

ここへ来る切っ掛けとなったのは福岡県糟屋郡志免町の中の坪公園にあったSL機関車でした。
このSL機関車を見に中の坪公園へ訪れると…あった筈のSLがない⁉︎調べたところ「大分県の玖珠町に譲渡する(志免町ホームページ参考)」とあったので移設されるのを待っておりましたら…この豊後森機関庫へ移設されておりました。


そうして訪れたこの豊後森。
入口にある周辺案内図と共に扇型機関庫とSL。綺麗に写っていませんが、SLの後ろには転車台があります。

機関庫と転車台を簡単に説明すると、機関庫は機関車を入れる車庫、転車台は車両の方向を変える機械の事です…

一度SLは置いておきまして転車台と扇型機関庫の写真を…と、思ったのですが転車台が分かり辛いですね、この写真…スミマセン…


転車台はまた別に撮ったので、先にSLと扇型機関庫にしましょう。


後々、写真を見返していて思ったのですが…線路が続いていない事に違和感を覚えました…線路が切れる手前で撮れば良かったですね…難しい…


線路の切れているところが見えなければ、塗装もプレートも綺麗にしてもらえているので走り出しそうな気がする写真に…なりませんかね…なりませんね…
とても綺麗になっていたので、背後にある錆だらけの転車台や廃墟同然な姿となっている扇型機関庫との差…SLがとても浮いて見えました。
イベント開催時にはSLの内部も見学が出来るそうです。

今度こそ転車台と機関庫を…


こちらの写真は転車台だけで…
逆光が酷かった為、不本意ながら少し弄りました…何かしら違和感があればその所為かと思われます。


転車台の下に水が溜まっていました。


土蛙や雨蛙、トンボにコウロギにバッタ…転車台の周りには最近は余り見掛けなくなってきた生き物が多く生存していましたよ。


溜まっていた水の中にも多くの生物がいまして、魚のような生き物が…と、思っていましたら…トカゲ…?え、水中にトカゲ…⁉︎
某氏に聞いてみますと「イモリじゃないかな?捕まえてみないと判らないけど」と、教えてくださいました。

そんな物知り某氏から「このSLの番号って大町のSLと似てない?」(以前、記事にしました佐賀県杵島郡大町にあるSLの番号)と言われまして。大町にあったSLは29611でした。ここにあるSLは29612…似てると言うか次の番号ですね。気になるので検索をしてみたところ…

「この29612号機は1919(大正8)年に製造され1974(昭和49)年に引退、その翌年に志免町へ寄贈されました。
同機が走っていたのは長崎本線や唐津線で勝田線ではありませんが、戦後の志免炭鉱は国鉄直営でSLに石炭を供給していたので、広い意味では関係があるといえます(志免町ホームページ参考)。」

と、ありました。
…この豊後森にあるSL29612と大町にあるSL29611は交換した方が良いのでは…それはさて置き、29611と29612は製造元が汽車製造株式会社なようです(Wikipedia参考)。
それ以外の共通点を私には見付ける事が出来ませんでした…

けれど知識がなくともSLとは心が擽られるモノですね。解体される予定だったSLが、あるべき場所(扇型機関庫、転車台)の前にくる事が出来たのだと思うと…少し安心しました。



長くなってしまいました…ここまでお付き合い下さり有難うございます。
次回は豊後森から離れて「大分県に来た」を書こうと思います。

2015年7月1日水曜日

潟公園


夕陽に甘えた写真を撮りに行ってきました。と、言っても私の相棒であるRICOHは家でお留守番だったのですが…

干潟よか公園の干潟でシチメンソウやカニを撮ってみました…夕陽に甘えた所で上手く撮れていないですけれど…


雨が続いた為か干潟に竹らしきモノとゴミが多く流れついていまして…シチメンソウが被害にあった模様です。

シチメンソウについて簡潔に説明しますと、アカザ科(双子葉植物に属する植物の1つで、一番身近な物はホウレン草)の一年草(春に種を蒔く、或いは秋に種を蒔いて一年以内に開花、結実し枯れる草本)。
育つ過程で色を変える事から七面鳥に因んで名付けたとされており、干潟や湿地で育つ為「海辺の紅葉」と呼ばれているそうです。見頃は秋だとか(※はてなキーワード参考)。


これは単に夕陽が綺麗だな…という事で撮っただけです…シチメンソウ畑が綺麗に撮れていない残念写真。

このシチメンソウは保護されているもので、干潟とは違う所で育っています。と、言いましても干潟の直ぐ近くですが…
まだ時期ではないけれど夕陽に照らされ愛らしく感じたので撮ってみました。


自分の影が入らない様に彼是としていたら何故か凄く斜めった写真に…

干潟と歩道を分ける柵から少し身を乗り出し見ていると、近くにカニさんがいらっしゃったのでズームして頑張りましたが…ピントが合ってない…


ムツゴロウは近くに居なかったので撮れなかったのがとても残念です。個人的にムツゴロウはとても可愛く思うので撮りたいのですが…

帰り際に歩いて通った所。


川に空が映り綺麗だったので撮ってみました。これが一番、夕陽に甘えた写真でこの日上手く撮れたモノかもしれません…
言われなければ気付かれない…空には金星と蝙蝠が細やかに写っているのです…気付かれない程度に…

もし次に訪れる機会があれば相棒も連れて行こうと思います。今度こそムツゴロウが撮りたい…